HAKOBUNE ー放射されるアートー
2023 年 6月3 日(土)ー 7月 9 日(日)
土日のみ開場 11 :00 – 18:00
開催場所:諸磯青少年センター(現在一般開放されておりません)
*展覧会は終了しています。事後記録、アーカイブとして立ち上げました。
発生の現場(体験、現象)
私自身も50年位作品を作り続けています。
痛んだこの建物に自分と重なるような奇妙な時の流れを感じて、
このような場所に作品を置いて作ったらどんな反応が起きるのだろうと….。
美術館や画廊のような白い空間ではないこの場所で….。
そのような時空の中で参加者の美術といえるようなもの、
或いはいえないものが生まれる発生の現場に立ち合いたいという思いから始まりました。
MKより
そこは事件の起こるべき構図の中といったものが欠けている場所、 次の日もこの場所は飽きもせずに反復されているに違いない。 風景のカラッポ、オイディプスの悲しい目、主体の不在、入り口の扉に塗られたペンキは乾燥した皮膚のように浮き上がり、 剥がれているのだ。深く打ち込まれたボルトもだらしなく露呈し、ボロボロに崩れている。 剥がれたコンクリートから現れる内部の骨組は、ゆっくりと時間をかけて腐食され、 茶褐色に錆び付き、風化の一途を辿っている。海水は上ってきた。 過ぎていくものを思い出す。 壊れたボートが中ば地上に溺れ、泥の中に埋もれている。 放置されたエアコンの残骸、ゴミや汚物の山、泥のある箇所が散在する。いかに泥は柔らかくあり、同時に乾いているのか、 干されているのか、褐色、黄、黒、灰色、黒ずんだ色をしている。 その匂いが求めているものは、或いは草か。 いまそれに触れ、手にとった指の間で湿ってくっ付き、捉えどころのなかったこれら何本かの草。 上部が斜めに撃ち込まれた杭は、やや傾き、割れて、縦にヒビが入り、白っぽくなっている。 所々に頭の欠けた茶色の錆びた釘は、そこに残っていた、何か他のもの、名づけられない他のもの、 もはや何か分からないものの一部であったのか。唯一確かなことはこの場所は、光によって放射されている。 微細に交感するもののただなかに晒されている。 反復されている。 わたしは光のなかで、構築物の前に立ち、ある一文を想起する。 「ムクドリは数千羽、数万羽という群れを作って大空を群舞する。 その動きは自由自在に離合集散を繰り返しつつ、一糸乱れぬフォーメーションで、ある秩序を保ちながら(…) 群れ全体として―つの集合的な意識をもった生命体のような動きである。まさに「シンクロニシティ」である」 (シンクロニシティポール・ハルパーン著『シンクロニシティ科学と非科学の間に』に寄せられた福岡伸一(生物学者)の推薦文より)。 わたしの目はもとめる。生あるものだけでなく、現在ここに存在するものがいかに交感しているのか。 空を飛翔する数千羽の翼のように、そこでシンク口は起きているのか。 わたしは風景に、光に、思考に、交感に晒されている。風は無かった色彩は確かに与えられていた。 防波堤の壁に描かれた落書きにも、風に吹き寄せられた色の褪せた紙切れにも、 正確には判別の難しいビニール製品、ペンキの付着した木片、形を失ったプラスチック、打ち寄せる波の中にも、 ガラスの破片がゆっくりと旋回し、光輝を発しながら流れていた。 それらは至る所で確実に死の薫りを噴射し、分裂と生成を絶えず起こしながら化粧している。 倉重光則
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